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ふるさと相生の二十世紀写真集

明治23年、山陽鉄道那波駅が開業しました。
明治40年、唐端清太郎は村の将来を託して
播磨造船所を設立します。
鉄道と造船所は地域発展の原動力となり、
矢野荘の四つの村は統合されて
相生市になりました。

ギャラリー

00.ふるさと相生の二十世紀写真集

  明治45年、最初の大型船「日英丸」が相生湾に姿を現し村人を驚かせた。
  その後、播磨船渠に続々と大型船が入渠、相生は活気に溢れた。
  停泊する「羽後丸」の傍を港へ向かう打瀬船が通り過ぎていく。

  2008年に発行した「ふるさと相生の20世紀写真集」をPDFにしました。
  PDF化にあたり、解像度を下げてネットでの動きを軽くしています。

1913年 播磨造船株式会社の船渠

唐端清太郎が設立した播磨船渠の船渠は、工事の失敗によって放置される。高橋為久は、この事業の再建を決意し、明治45年1月、船渠を完成した。相生の造船業の原点といえる船渠で、町の人たちはこの船渠を「わしらのドック」、造船所を「ハリマドック」と呼んだ。
1918年 第六與禰丸の進水式

第一次世界大戦中、鈴木商店が造船所を買収し、新造船事業に乗り出した。工員は250人から5000人に急増、播磨造船所は西播随一の大工場に成長する。1917年、ロシア革命が勃発、北村徳太郎など鈴木商店の少壮店員は、マルクス主義に対抗できる経営をめざした。
1920年 藪谷売店組合

造船所は従業員を定着させるため、藪谷に大規模な社宅を建設し、中央に売店組合を置いた。これが、本町商店街の始まりである。1920年4月3日、米国へ船鉄交換船として輸出されるイースタン・ソルジャーの進水式が華やかに行われた。その日の本町商店街。
1921年頃 相生港と魚市場

天神山から見た相生港。魚市場は蛭子神社の近くにあり、漁船のための掘割があった。
「港口の大きな呉服屋の裏手を覗くとそこが石垣で防波堤の作ってある魚市場で、魚船などもつないであり、・・・」
(佐多稲子 素足の娘)

PDF版写真集1 まえがき〜1920年 41頁 6MB

1928年 昭和の御大典

昭和天皇の御大典は、昭和3年11月10日に京都御所での即位式、14日から大嘗祭、16日から一般市民の祝賀行事と続いて、各地で祝賀の催しが開かれた。写真は、丘の台に設けられた特設舞台での踊りの様子。
1931年 昭和初期の那波駅

那波駅に続く陸の坂。駅前では人力車が客待ちをしている。自動車は、相生唯一の高級車リンカーン。右手には「田中旅館」「たばこ」「塩」の看板。那波駅は、明治23年の山陽鉄道開通とともに開業し、昭和17年の市制施行で相生駅と改称される
1933年 カフェ新町食堂

新町は歓楽街として賑わった。カフェーは、 若い衆が安直に遊びの感触を味わうことが出来るところであった。そこでは、白いエプロンをつけた若い女給さん達が、「船頭小唄」や「君恋し」と云った流行歌を、レコードによって共に唄い、共に踊ってくれた。     
1942年頃 真広大神宮社での戦勝祈願

1940年は皇紀2600年祭で祝賀式典が行われたが、その後は戦時色が濃くなり、1941年12月、大東亜戦争が始まる。1942年、真広の大神宮社では戦勝祈願が行われ、鳥居横に石碑が建てられた。なお、鳥居と灯籠は皇紀2600年を記念して造られたものである。

PDF版写真集2 1921年〜1945年 37頁 7.3MB 

1951年 出航する図南丸   IHI提供

図南丸が相生に到着したとき、錆びた船体には牡蠣がこびりつき海の魔城のようであったという。10月18日、大修繕によって蘇った捕鯨母船図南丸は南氷洋へ旅立った。造船所の対岸には生徒や市民が立ち並び、日の丸の小旗を振って図南丸を見送った。 
1956年 那波八幡~社の獅子舞

相模から移住した地頭の海老名氏が、鎌倉の八幡宮を勧請した那波八幡神社は那波五ヶ村の信仰を受けた。獅子舞は、雨乞いの祈願の甲斐あって慈雨が降り、命びろいした浦人たちが、嬉びを氏神様に感謝し、五穀豊穣を祈念して奉納したのが始まりだという
1958年 東本町七条での紙芝居

自転車でやってくる紙芝居のおじさんは子供たちの楽しみだった。水飴やするめを買うと(買えなくても)紙芝居を見せてくれた。水飴をかき混ぜて白くする競争に勝つと酢昆布をくれたので、水飴を必死にかき混ぜたものである。
1967年 相生駅と大楠の木  木下充造撮影

昭和40年、相生港が開港場に指定された。41年5月には、新幹線相生駅の設置が発表され、相生は陸海交通の拠点として発展することが期待された。新幹線の工事が始まる前の相生駅周辺。駅前ではバスやタクシーが列車の到着を待つ。

PDF版写真集3 1946年〜1970年 43頁 8.7MB

1972年 賑わう本町商店街   市役所提供

昭和47年、アーケードの照明がシャンデリアに付け替えられた。本町は港(南)側から発展し、北口まで商店が立ち並んだ。翌年には、北東の棟が共同で3階建てに建て替えるなど、大正時代の建物を建て替えてビルにする商店が相次ぎ、商店街の最盛期を迎える。
1978年 整備中のポート公園 木村士郎提供

公共埠頭が野瀬の埋め立て地に移転し、跡地は緑化されてポート公園になった。その後、護岸はもう一度改修されて、現在の広々したペーロン岸壁のある海辺の公園に整備された。ペーロン城からポート公園のあたりは、海を見ながら散歩ができる憩いの場になっている。
1987年 最後の進水式     IHI提供

円高が造船業を直撃し、ウエストウッド・ヤーゴが最後の進水式となった。国立国会図書館調査立法考査局の調査報告は、「相生市及び相生市民にとっては、IHIへの過度の依存に気づかせ、依存からの脱却への第一歩を踏み出す契機となった(と思いたい)」と述べている。    
1993年 女子ペーロン     市役所提供

1980年、小さく軽い32人乗りの新型ペーロン船が建造された。81年に中学生のヤングペーロンが登場、86年「女子禁制」を破って双葉中学女子が参加、ギャルペーロンとよばれた。1990年には「一般女子」が始まり、毎年熱戦を繰り広げている。

PDF版写真集4 1971年〜1993年 34頁 34MB    相生の20世紀写真集・年表

profile

平日は神戸で仕事、週末は相生で「相生いきいきネット」や「相生歴史研究会」のメンバーとして活動しています。

matunko@aioi.name