高校生のための世界史講座

高校世界史A 高校生向け講座

2.世界史Aを学び始めるにあたって

17世紀まで、ヨーロッパはアジアに対して文化的・軍事的・経済的にはるかに劣勢でした。江戸幕府ですら、イスパニアやイギリスを追い出す武力を持っていましたし、追い出したところで経済的に何の障害もありませんでした。

逆に、ヨーロッパ諸国はアジアから輸入しなければならない商品がたくさんありました。彼らは、アメリカ大陸から収奪した銀でアジアの商品を買い続けました。おかげで、アジアは大幅な輸出超過となり、経済的に繁栄します。しかも、コーヒー・紅茶という新しい飲料がヨーロッパの貿易赤字を拡大しました。この貿易不均衡をなんとか解消しようというイギリスの行動が、ついにアヘン戦争を引き起こしてしまうのです。

ヨーロッパの人々が欲しがったアジアの産物に綿織物があります。綿織物を増産するため、イギリスでは工場で機械を使う綿織物工業が発達しました。

17世紀 エリザベス一世のもとに国家が統一される
女王は、日本の徳川家康と同年代です

18世紀 産業革命が始まる
1769 ワットが蒸気機関を改良・実用化
1785 カートライトが力織機を発明 綿織物の生産が拡大
1807 汽船発明  1825汽車によって鉄道が開通

イギリスのアジア進出は、ヨーロッパにも衝撃を与えました。イギリスを追いかけるためには、経済力・工業力・軍事力の強化をしなければなりません。そのためには、ある程度の規模をもった国家として統一することが必要でした。こうして、ヨーロッパに言語・民族によって統一される国民国家が次々と誕生していきました。

1840年の地図を見ると、西欧には現在とほぼ同じ領域を有する国家が成立しています。

イギリス フランス スペイン ポルトガル

一方、中欧・東欧では、ハプスブルク帝国とオスマン帝国が勢力を維持していて、ドイツ・イタリアは小国家に分裂していました。ドイツとイタリアでは、1840年代から統一への動きが加速し、1870年頃にドイツ帝国・イタリア王国が成立します。同じ頃日本では明治維新がおこりました。また、アメリカが南北戦争を経て一つの経済体として機能し始めました。

こうして、1870年には、英・仏・米・露・独・伊・日が、資本主義の近代国家としてでそろいました。この七か国は帝国主義国とか列強諸国とよばれる「植民地を保有する国」へと成長していきます。帝国主義国のうち、特異な存在は日本です。日本は「すべりこみで近代化がまにあった」アジア唯一の国です。日本は「アジアの一員」でありながら「アジアを植民地にした唯一のアジア人の国」という宿命を背負うことになります。

列強諸国は、二度にわたって世界大戦を戦いました。第二次世界大戦の枢軸国は、1870年代に遅れて統一が実現した国という共通点があるのですね。

問題 英・仏・米・露・独・伊・日の七カ国を第二次世界大戦の連合国と枢軸国に分けなさい

二十世紀の最貧国インドと経済大国日本

綿織物が手工業で生産されていた頃、インドは優秀な綿製品の生産地でした。イギリスはインドの綿工業を破壊し、イギリスの綿製品を輸入させました。インドの貧困化はこのときに始まります。非暴力でインドの独立を指導したガンジーが糸車を回しているのは、インド綿工業の再建をめざしたからです。

日本でも江戸時代に綿花栽培・手工業の綿織物生産がさかんでした。明治政府は、綿花を輸入に切り替え、機械工業による紡績業を育成し、産業革命を成功させました。20世紀前半、紡績業は最大の工業として日本の貿易を支えます。東洋紡績・鐘淵紡績(カネボウ)・日本綿花(ニチメン)・東洋棉花(トーメン)などの企業名に綿工業が日本のリーディングインダストリーであった時代が残っています。

20世紀に経済大国になるか発展途上国になるか、日本とインドの運命は紙一重のところにあったのです。

3フランス革命 1789年

 フランス革命とナポレオン

欧州は、領主(貴族)と平民で構成されている社会です。領主は姻戚関係で結びつき、平民をおさえて政治を独占してきました。土地は領主の所有で、農民は重い税負担を課せられていました。

18世紀、ロシアとフランスで平民が反乱を起こします。フランスでは平民が勝利しますが、ロシアでは女帝エカチェリーナ2世が農民の反乱を徹底的に弾圧しました。ロシアでは問題は深刻化し、1917年のロシア革命まで解決は持ち越されました。

    デンマーク王家        ピョートル大帝

ドイツ貴族 =    = エリザベータ女帝   = ドイツ貴族

兄(後にスゥェーデン王) ソフィ    =    ピョートル三世

男  女  男

ソフィ(エカチェリーナ二世)はドイツの貴族の娘として生まれてロシアに嫁ぎ、軍に推されて皇帝になった人物です。エカチェリーナが皇太子妃であった頃の1756年、ロシア女帝エリザベータは、オーストリア女帝マリア=テレジア、フランス王の公妾ポンパドゥール夫人と連携してプロイセン包囲網を結成しました。そして、墺仏提携の証として、オーストリア皇女マリーアントワネットがフランスに嫁ぎました。

問題 ピョートル3世とエカチェリーナ夫妻は何語で会話したでしょうか

1756年、露仏墺連合とプロイセンが開戦、プロイセンは苦境に陥りましたが、1762年、ロシア女帝エリザベータが急死、新帝ピョートル三世はプロイセンと講和します。これに不満を持つロシア軍はクーデターを起こし、エカチェリーナ二世が皇帝の座に就きました。

ヨーロッパは領主と平民を一括りにした国民という概念はなく、領主身分が平民身分を支配する社会だったのです。フランスでは、第一身分(僧侶)・第二身分(貴族)が人口の九割以上を占める第三身分(平民)を支配していました。第一身分と第二身分は広大な土地と官職を握り、免税などの特権を持っていました。こうした旧体制(アンシャンレジーム)を破壊したのが1789年のフランス革命でした。

フランス革命には三つのポイントがあります。

  • 農民が貴族の土地を没収して、自分たちの所有にした。
  • 自由や平等など人権が自然権として認められた。
  • 憲法が制定されて、国王は憲法に従うことになった。

王は神から政治をまかされており何でもできる(絶対王政)

王は憲法にしたがって政治をすることができる(立憲王政)

王制は廃止され、国民の代表が政治をする  (共和政)

革命の初期段階では絶対王政から立憲王政へ変革が目標でしたが、やがて、王制を廃止して共和政をめざす勢力が主流になっていきます。外国への亡命に失敗した国王ルイ16世が処刑されると、周辺諸国はフランス革命政府に対して戦争をおこしました。フランスの貴族は、外国軍に合流します。フランスは市民を主体とした軍を編成してこれを迎えうちます。1792年、ヴァルミーでフランス軍とプロイセン軍の戦いを見たゲーテは「この日から世界史の新しい時代が始まる」と日記に書きました。

外国軍との戦いに敗れることは、貴族たちから没収して自分たちのものにした土地を再び失うことを意味していました。市民は志願して軍に参加し、史上最強の軍隊「国民軍」が誕生しました。革命軍の兵士がうたった「ラ・マルセイエーズ」はフランス国歌になっています。

同じ地域に住む人々が同じ旗のもとに集まって国を作るというやり方はこの時期に始まりました。こうした国家を「国民国家」といいます。19世紀と20世紀は国民国家の時代であり、各民族は国民国家を持つ権利があるという民族自決やナショナリズムが主張された時代でした。

一方、貴族にとってフランス革命は許しがたいものでした。諸外国は革命政権を倒すための軍事行動を起こしフランス革命戦争が始まりました。1795年、ナポレオンがフランス軍の司令官に就任、フランス軍はイタリアやオーストリアへ攻め込みました。

ナポレオンは世界最初の近代法典を制定しました。そのなかの民法はナポレオン法典と呼ばれ、所有権の保障はフランス市民の要求を実現したものでした。

1804年、ナポレオンはイギリスを除く欧州大陸を支配下におき皇帝に就任しました。そして、1806年、大陸封鎖令を発布しイギリスを経済封鎖しようとします。ナポレオンは大陸封鎖によってイギリスに打撃を与えるとともにフランス工業製品の輸出を増やそうとしました。しかし、フランス製品ではイギリス製品を代替することができず、ロシアなど大陸諸国の反発を招きました。

1812年、ナポレオンは大陸封鎖令を破ったロシアに遠征しモスクワを占領しますが、ロシア軍がモスクワを焼き尽くして退却したためフランス軍は食糧を補給できませんでした。冬の到来を前にフランス軍は撤退しますが60万のフランス軍は五千に減ってしまいます。ロシア遠征の敗北を機会に支配下の諸国民の反乱が続き、1814年、ナポレオンは退位しました。

ナポレオン戦争でフランス軍は欧州各地を転戦し、フランスという新しい国家を宣伝しました。自分の国でも革命がおこり君主の支配が倒されるのではないか、支配下の民族が独立を求めるのではないか、と君主たちは懸念します。ナポレオンが敗北すると各国の君主たちは、フランス革命前の秩序に戻すことで合意しました(ウィーン体制)。

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