ワンストップ日本史

相生は歴史ツーリズムに最適の地

荘園都市あいおいには、卑弥呼の時代の古墳に始まり、飛鳥・奈良時代の渡来人秦氏による開発、平安・鎌倉・室町時代の矢野荘、江戸時代の浅野赤穂藩・旗本浅野家、近代の造船工業と日本史のすべてが結晶しています。

一枚の写真に日本史のすべてが写る若狭野

古代は飛ぶ鳥の里、中世は皇室領矢野荘、近世は旗本浅野家領、戦前は若狭野村と呼ばれた地域。一つの小学校区を歩くと日本史のすべてが体感できるワンストップ日本史の地です。東寺百合文書・浅野隼人家文書というエビデンスが語りかけてきます。

古代 飛鳥時代 若狭野古墳

7世紀、古墳としては末期の方墳。飛ぶ鳥の里の里長の古墳といわれています。播磨から吉備に向かう交通の要衝を見下ろす丘にあり、通商路を監視する役割を大和政権から委ねられた人物の古墳という説もあります。

中世 美福門院の皇室領矢野荘

12世紀、鳥羽上皇の皇后美福門院が皇室領矢野荘を創りました。矢野荘は相生市と同じ領域を占める巨大な荘園で八条院領として大覚寺統に受け継がれます。荘園の政所はこの辺りにありました。

秦河勝を祀る大避神社。坂越から三濃山にかけて千種川水系には秦河勝を祀る社寺が点在しています。鎌倉時代末期、矢野荘は領家方と地頭方に下地中分され、領家方は後醍醐天皇即位をめぐり皇室から東寺に寄進されます。東寺百合文書は、大避神社周辺での東寺・悪党寺田法念・有力農民たちの争いを伝えます。中世研究では聖地とされる神社です。

水田に映える下土井城。山頂に堀切がきれいに残る中世の山城です。矢野荘中心部を見下ろす位置を占め、「岡城記」は岡豊前守の城であるという伝承を記しています。

近世 浅野陣屋

江戸時代、浅野赤穂藩は分家を若狭野に立てました。元禄赤穂事件で赤穂藩は断絶しますが、若狭野浅野家は旗本として幕末まで続きました。浅野陣屋は敷地がほぼ完全に残り、江戸時代後期の家政改革で建設された札座が現存しています。上は御殿屋敷跡、下は札座です。

浅野陣屋は西国街道の傍にあります。西国街道から赤穂城に向かうには、周世坂を越えて千種川の東岸を南下し、坂越を経て赤穂城下に向かいました(今は西岸に広い道があります)。坂越は赤穂藩の商港で奥藤家や大避神社など繁栄をしのぶ情緒が残っています。

相生市内の観光地

相生市内の観光地を詳述した「相生の観光地」と、お勧め順に並べた「相生の観光地ランキング」のページがあります。

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