相生の観光地 矢野荘

相生の観光地 皇室領矢野荘

相生市と皇室領矢野荘

相生市は皇室領矢野荘とほぼ同じ地域にあります。あいおいは中世の荘園が現代の一つの小都市として存続している日本で唯一の「荘園都市」なのです。

黄色の線は皇室領矢野荘の範囲です。1136(保延2)年、鳥羽上皇の皇后美福門院が立券の手続きをとり、1137(保延3)年に荘園になりました。矢野荘は八条院領の重要な荘園で、大覚寺統に受け継がれました。

この地域は、古代から近代まで、多くの歴史的遺構が残り、東寺百合文書や浅野隼人家文書など一級の文書類に恵まれています。しかし、これまで観光地として着目されることもなく、地元の人にも「歴史のない町」と見なされて、歴史的資産は静かに眠り続けてきました。その理由は、この地域を本当に楽しむためには、日本史の高度な知識を必要とするからです。

研究者たちは「相生は宝石箱のような地域」「中世研究の聖地」「近世旗本研究の先端分野」と評価し、史学科の大学生が実習に訪れます。適切なガイドを受けながら歩きますと、なにげなく通りすぎている場所の由来や故事がわかり皇室領矢野荘の二千年の歩みを身近に感じることができるという地域です。

相生の観光地 皇室領矢野荘

荘園都市あいおいには、日本史の歩みが結晶しています

皇室領矢野荘は二つの水系から成り立っています。南部の河川は相生湾に流れ、北部の河川は千種川から赤穂に流れます。

相生市の市街地は南部に形成されていますが、皇室領矢野荘の中心は北部にありました。白枠は古代の条里制を示しています。奈良時代の農耕地はここにあり、平安時代は国有地として国衙が管理していました。南部は平安時代後期に開発されて藤原顕季に寄進され、孫の美福門院が受け継ぎます。1136年、美福門院は鳥羽上皇の皇后という地位のものをいわせて北部の肥沃な国衙領を取り込み、皇室領矢野荘としました。国有地が皇室の私領に変わったのです。

このようにして成立した荘園を領域型荘園といい、中世の土地制度の基本形になりました。最近の日本史の教科書は、院政期の領域型荘園登場をもって中世の始まりとし、院政・鎌倉幕府・南北朝・室町時代を中世とします。

矢野荘は、鎌倉時代は大覚寺統、室町時代は東寺、江戸時代は浅野赤穂藩の支配下に入り、大正時代の鈴木商店進出によって近代工業都市になります。時代の変遷とともに相生市には日本史の歩みが結晶していきました。金春禅竹の「明宿集」、世界記憶遺産「東寺百合文書」、十年前に発見された「浅野隼人家文書」、「播磨造船所50年史」という一級のエビデンスが、小さな荘園都市あいおいの歴史を伝えています。

地図の●は、橙が古代、緑が中世、青が近世、赤が近代を示しています。荘園都市あいおいは日本史のすべてを史跡を通して学ぶテーマパークです。荘園都市あいおいを歩きながら日本史を学ぶ「日本史まなびツーリズム」は、忠臣蔵で有名な浅野赤穂藩の分家、旗本浅野家の若狭野陣屋から出発します。

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