皇室領矢野荘の学習会

10月20日、赤松先生を迎えての兵庫県ふるさとづくり青年隊主催の学習会。赤松秀亮先生は早稲田大学大学院で矢野荘を研究されています。

60分の講演の後、質問が続出して30分以上かかりました写真は、質問に答えて、矢野荘の分割を説明されているところです。

ここから私の注釈

矢野荘は皇后美福門院が1137年に荘園として成立させました。美福門院の没後、例名は娘の八条院に、別名は美福門院の御願寺歓喜光院に継承されます。1221年の承久の変で後鳥羽上皇が敗北した後、皇室領であった矢野荘でも関東から来た地頭海老名氏が勢力を拡大し、1299年、例名は領家方と地頭方に下地中分されます。矢野荘の北部は、例名領家方・例名地頭方・別名に分かれたわけです。

このうち、例名領家方で現地を差配する公文職にあったのが寺田一族。1313年、後宇多上皇が領家方を東寺に寄進すると、新たな領主である東寺と現地の有力者寺田法念の争いが始まりました。あの有名な悪党寺田法念です。

ここまで、私の注釈

高校の日本史の先生ならここまでは解説できます。ここからは、荘園を研究している専門家でないと答えられません

以上の知識があるという前提で、先生が解説されていることは二つ。

領家方が北部の能下地域と南部の若狭野地域にあり、地頭方が中部にまとまっているが、領家方は北部・南部という分断される形で二つの地域を占めたのは何故か?

下地中分の後、寺田法念が重藤名(寺田氏領)の拡張を図り、その行動から悪党と呼ばれるようになった動機は何か?

一般市民対象の学習会としてはレベルの高い解説だと思います。

学習会で30分以上にわたって質問が続くことはあまりありません。というか、30分以上も質疑応答の時間をとってくださる講師の先生は少ない。

ポスターで「何でも尋ねることのできる(何でも答えてくれる)講師を招きました」とお知らせしたとおり、出席者全員が尋ねたいことは全部尋ねて満足・・という学習会でした。

学習会はこうありたいものです。講師が一方的に話すだけだったら録画と同じですものね。講師と出席者の対話こそライブの強み、企画して良かったと満足の学習会でした。

このエントリーをはてなブックマークに追加

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする