若狭野浅野家と浅野家文書

若狭野浅野家と赤穂藩の系図

戦国時代、浅野家は織田信長の家臣でした。浅野長勝は長政を養子、ねねを養女に迎えます。ねねが木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚すると、浅野長政は豊臣秀吉の義弟・家臣として甲府を所領とする大名に成長しました。関ヶ原の戦いでは東軍に加わっています。浅野長政の長男、浅野幸長の系統(浅野宗家)は和歌山37万石、転封後は広島42万石を領有します。本領とは別に、浅野長政は隠居料として常陸に5万石を持っていました。三男の浅野長重がこの5万石を継承して笠間藩になり、長重の長男長直が藩主のときに播州赤穂に移りました。

正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より浅野長直が5万3000石で赤穂に転封してきます。長直は実子の長友を二代藩主にするとともに、二人の養子を分知するよう計らいました。
初代藩主 浅野長直
二代藩主 浅野長友(実子)    浅野長賢(養子)   浅野長恒(養子)
三代藩主 浅野長矩〈内匠頭〉   分家・家原陣屋    分家・若狭野陣屋

浅野長恒は、長直の娘が大石家に嫁いで生まれた子供(長直の孫)です。長直は娘が産んだ孫をかわいがって養子(浅野長恒)とし、分知するよう長友に働きかけました。寛文11年(1671)、浅野長友は義兄長賢・義弟長恒を分知し、長賢と長恒は将軍に拝謁して旗本に列せられます。浅野長恒の領地は若狭野周辺の三千石と決まりました。長恒の幼名長三郎隼人にちなみ、浅野隼人家と呼ばれます。

元禄14年(1701)、江戸城で浅野内匠頭長矩が吉良上野介に刃傷に及ぶ元禄赤穂事件が起こります。元禄赤穂事件で赤穂藩は改易され、元禄15年(1702)には、生家大石家の大石良雄が吉良邸に討ち入ります。しかし、旗本浅野家は一時謹慎状態になったものの許されて、旗本として幕末まで続きました。

浅野赤穂藩を改易すると、幕府は、豊かな農地の広がる北半分を幕府支配圏とし、南半分に外様大名を置く方針をとりました。下の地図は改易直後のもので、数年を経て、北部は上郡の陣屋を拠点として幕府が各藩に統治を分配し、南部は森氏の赤穂藩2万石になります。中央部の濃色が旗本浅野家の所領です。

浅野赤穂藩は赤穂郡全体(現在の赤穂市・相生市・上郡町)を所領としていました。浅野赤穂藩は浅野長恒を分家させるにあたり、他藩と接することがなく、ひとまとまりになっている若狭野を分家領にしています。若狭野は中世矢野荘の中心部を占める肥沃な地です。

若狭野浅野家の所領


浅野家文書展

江戸東京博物館での展示にあわせて龍野歴史文化資料館が発行した冊子

2007年、浅野陣屋に関する重要な古文書群が発見されました。神戸新聞から抜粋します。全文は「とんび岩通信」でご覧ください。

『忠臣蔵で知られる赤穂浅野家とその分家について記した数千点に上る江戸時代の古文書が、相生市内にある分家筋の民家で見つかった。たつの市立龍野歴史文化資料館が18日、発表した。

赤穂浅野家の分家・若狭野浅野家は3千石の旗本で、相生市内に陣屋を構えた。初代長恒は、長矩の叔父に当たる。同家の子孫の民家が昨年12月、道路拡幅工事で取り壊されることになり、古文書について相談を受けた同資料館が調査し、寄贈を受けた。

分家関連では、現在も相生市内に建物の一部が残る陣屋の配置図が見つかった。3棟の建物の配置や詳細な間取りが記されている。江戸・日本橋にあった屋敷図、歴代当主が京都や堺で役職に就いた際に手に入れたとみられる二条城や大阪城の絵図も確認された。

同資料館の市村高規学芸員は「本家に関する資料がさらに出る可能性もある。一般にも公開し、研究者にも活用してほしい」と話している』

浅野赤穂藩改易とともに失われたと考えられていた資料が、タイムカプセルのように現代に蘇りました。それから10年、龍野歴史文化資料館や江戸東京博物館・徳川林政史研究所で浅野文書の研究が進み、2009年に江戸東京博物館で企画展「旗本がみた忠臣蔵 若狭野浅野家三千石の軌跡」が開催されました。


浅野家文書の展示 忠臣蔵から村文書

2016年、龍野歴史文化資料館の展示「忠臣蔵から村文書まで」の冊子とチラシ

2016年には、文化庁「地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」で、「西播磨のアーカイブ 忠臣蔵から村文書」までが開催されました。龍野会場と相生会場で二ヶ月あまりにわたって、浅野家文書が公開され、すぐ傍まで近寄ってじっくり眺めることができました。この間、龍野歴史文化資料館の館長さんと親しく話せる機会があり、浅野家文書への理解が深まりました。

「忠臣蔵から村文書まで」の冊子に資料一覧が収録されており、龍野歴史文化資料館に申請すればデジタルデータをいただけるそうです。文書を研究したい人にとっては良い時代になりました。冊子に「資料集積の経緯」が記述されており、11月6日にたつの市総合文化会館で行われたシンポジウムで説明されたことも加えて浅野家文書の成り立ちをまとめてみました。

明治30年代、浅野家が事業に失敗して若狭野陣屋から離れるにあたり、浅野家の文書は娘さんの嫁ぎ先である那波の三木家に預けられました。三木家は庄屋として那波村の文書を保管しており、浅野家の旗本文書と三木家の村文書が三木家に集まりました。二つの文書を合わせて「三木家文書」と呼びます。この「三木家文書」が2007年、三木家の住宅解体にあたり、紙一重で龍野歴史文化資料館に収蔵されることになりました。


浅野家文書の経緯

若狭野浅野家が保管していた文書(浅野隼人家文書)は、①浅野赤穂藩江戸屋敷にあり、浅野内匠頭の刃傷事件のおりに分家の若狭野浅野家江戸屋敷に運ばれた文書 ②旗本浅野家の江戸屋敷で作られた文書 ③若狭野浅野陣屋で作られた文書 で構成されています。明治維新で浅野長発が若狭野陣屋に帰るときに①②が江戸から若狭野陣屋に運ばれました。明治33年頃、若狭野陣屋から那波の三木家に移され、大部分がこのたび発見されて龍野歴史文化資料館の所蔵になりました。

実は、この文書は相生の郷土史家、小林楓村先生が一部を相生史話等の著作に記載しています。小林楓村先生が研究に着手していたにもかかわらず、1980年代に行われた相生市史の編纂作業でスルーされた事情は不明です。相生市史は浅野陣屋についてわずかの記述しかありません。

③若狭野陣屋で作られた文書は、浅野陣屋の札座に直接関係しています。この文書は、江戸時代末期、旗本浅野家の藩政改革のために藩札の発行等の諸施策が実施されたときの記録です。江戸屋敷・若狭野陣屋・大坂天王寺屋で交わされています。この文書類も三木家で保管されていたのですが、現在、関西大学の津田秀夫文庫所蔵になっていて、関西大学学術リボジトリ http://hdl.handle.net/10112/2261 に収録されています。この播磨国赤穂郡若狭野・浅野隼人家関係文書について、2007年、東北大学の荒武賢一朗准教授が最初の論文を発表されました。准教授は、この文書が新たな研究領域を開くと記述しています。

「本史料群の存在が明らかになったことによって、これまで研究蓄積が少なかった畿内・近国旗本知行所の研究、および旗本家の財政・年貢米廻送などの分野に大きな前進がみられるものと自負している。・・・『松代藩真田家大坂御用場関係文書』のほか、いくつかの大坂御用場に関する諸史料の発見が認められるが、旗本レベルでの研究は未開拓の分野であり、今後研究を深める重要な手掛かりとなろう」

論文によると、本史料群に登場する主な人物は次のとおり
江戸屋敷   家老・前田剛右衛門  用人・川端彦次郎、同・坂田伝治、同・里村清右衛門
若狭野陣屋  大崎牧之丞、尼子廉蔵
大坂御用場  天王寺屋(松井)安右衛門→大坂麹町
用達     天王寺屋安右衛門(大坂) 、紀伊国屋弥右衛門(堺)

天王寺屋から若狭野の安右衛門への手紙の内容の一部を紹介します

「当地、此程より、はしか大流行にて、家毎わずらひ、大家の向きにては十人、二十人わずらひおり候。このたびの分は格別人名に拘り候ことには無きの由に候へども、軽くて十四、五日かかりおり申し候。きんかん大高直にて一升につき金一両、それより三貫文くらひしるべ候あいだ、きんかん一つ十五、六文づつに御座候。これにて御察し遊ばられるべく候。その御地は如何に御座候や。承りたく奉り候」

彼らが活躍した場の一つが浅野陣屋の札座です。文書に登場する場で現存しているのは、おそらく、札座だけでしょう。

若狭野は中世矢野荘の中心部で、中世に関しては「東寺百合文書」という世界記憶遺産に登録されている古文書があり、中世研究者にとっては最も有名な地域の一つでした。今回、近世に関して播磨国赤穂郡若狭野・浅野隼人家関係文書が発見されたことにより、近世研究家の注目を集める地域になるでしょう。


大身旗本浅野家文書

浅野家文書の特徴は何でしょうか。旗本には領地を持たず幕府から給与を支給される小禄の旗本と、一万石未満の領地を支配する大身旗本があります。大身旗本は所領に帰ることなく、江戸に在住して幕府の要職に就きます。若狭野浅野家は三千石の所領を有する大身旗本で奉行職を歴任しています。大名家の資料に比べて、大身旗本の資料は珍しいそうです。また、浅野家文書は、旗本若狭野浅野家が成立した経緯から明治維新まですべての時代を網羅しており、家の歴史を初めから終わりまでたどることができます。

浅野家文書は、龍野歴史文化資料館・関西大学リボジトリから公開が進んでいます。浅野家文書というエビデンスを持つ浅野陣屋は、近世日本史の新しいフィールドの舞台になりつつあるのです。


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